西洋医学との違い

西洋医学とホメオパシーには、大きく2つの違いがあります。

① 「違った状態にする」か、「似た状態を増幅する」か

②   病気を「部分で見る」か、「全体で見る」か

 

 

 

①「違った状態にする」か、「似た状態を増幅する」か

 

 

お薬で、別の状態になる

 

西洋医学の場合、患者さんがある症状に苦しんでいるとしたら、その症状とは違った状態を起こせるものをお薬として使います。たとえば、咳に苦しんでいたら、咳がとまった状態になれるお薬を患者さんにとってもらう、といったことです。これは、とても当たり前のことのように思えますし、理にかなってるじゃないか、という気がします。

 

けれども実際には、どういうことが起こってるでしょう? たとえば病院に通ってお薬を飲み、そのときは症状がよくなります。けれど、そのうちお薬の効き目が切れて、また悪くなる。そうやって、お薬を飲み続けなければならなくなったり、お薬に耐性ができると、今度はどんどん強いお薬を飲まなければならなくなる。しばしば、そういうことが起こっています(また、お薬で症状がおさまったように見えても、実際は症状がもっと深いところに入り、今度はもっと重篤な病として上がってくることも多々あります)。

 

 

つまり「違った状態になるお薬」をいくらとっても、それは本当の意味で体がよくなったというよりは、お薬の影響を受けて、体が一時的に、本来とは「違った状態」に置き換えられ、そのためにもとの症状が出なくなった状態になった、ということが理性的に考えられます。ですから、お薬の影響が消えればもちろん、また、もとの状態に戻り、症状が復活してくるわけです。

 

 

 

さらに押し、自力で戻ってもらう

 

一方でホメオパシーはと言いますと、患者さんがある症状に苦しんでいるとしたら、その症状にできるだけ似ていて、その似ている状態がさらに増幅させられるものを薬として使います。なんだか、アクマ!とでも叫びたくなるような治療法ですね。

 

ある苦しみの状態がさらに増幅した場合、人はどういう状態に置かれるでしょうか? 普通に考えれば、やはりその人は、一時的にサイアクな状態になるわけです(レメディーを使った場合、これは認識できないくらいほんの一瞬だったりしますが)。バランスが崩れるわけです。しかし、サイアクの状態になったとき、人はだまって、そのまま死んでしまう生き物でしょうか? いえ、自己治癒力のスイッチが入るのです。「このままやられてなるものか!」。人は自分の力で、より健康な状態に戻っていきます。これが、ホメオパシーの作用が起きる道筋です。

 

 

※ この作用を起こすのに、物質ではなく、希釈震盪したレメディーを用いる、というのは、とても大事なポイントです。希釈震盪をしたレメディーは、短時間で心身を占領し、短時間で抜けていく、ある意味「人工的な病を、短時間だけ引き起こす薬」です。ですから、体の自己治癒力のスイッチが入ったときには、すでに抜けている、もしくは、容易に抜けていきやすいのです。

 

 

 

より優しいのは西洋医学!?

 

ですから、ホメオパシーと西洋医学のお薬、どちらがより優しいかと問われれば、実のところ、西洋医学のお薬のほうが優しいと言えるかもしれません。本質的な問題と向き合わないまま、一時的にでも気をまぎらわせてくれるのですから、考えてみれば、こんなにありがたいものはありません。

 

 

一方で、ホメオパシーは、より過酷ではありますが、抜本的です。レメディーは、その人の自己治癒力を発動させるための導入材に過ぎませんから、いったん自己治癒力が発動したなら、いつまでも飲み続ける必要はありません(今度は逆に、レメディーが人工的な病を引き起こし続けるようになるわけですから、飲み続けるのは逆効果でしかありません)。

 

 

※ 必要なときに一粒飲んで、様子を見る。そして作用が止まったように思えたら、また一粒飲んで、様子を見る。患者さんが治癒したと感じられるまでそれを続けるのが、ホメオパシー治療の基本です(こういう方法をとらないホメオパシーは、基本的にホメオパシーではありません)。この、様子を見る期間は、急性の場合には数時間、という場合もありますが、通常は、数週間から数ヶ月に一粒、といったペースになります。患者さんが自分の自己治癒力を十分に引き出すことができた後は、もうそれ以上とる必要がなくなるというわけです。

 

 

西洋医学、ホメオパシー、どちらの療法にも、得意、不得意があります。たとえばホメオパシーのデメリットは、優れたホメオパスがいなかなか出ないこと。そのため、命をつながなくてはいけない緊急なときに、確実にレメディーを選べる保証がないこと。その点、西洋医学は痛み止め、輸血、解熱などで、確実に命を取り留めてくれます。ですから、あなたが絶対的に信頼できる、天才ホメオパスを主治医につけていない限り、緊急時には必ず西洋医学に行くべきです。

 

 

しかし、もし緊急でなく、じっくり治療できる環境があるならば、患者さんが治療後に、より生き生きした状態になっていけるのは、圧倒的にホメオパシーのほうでしょう。それは、宿題をためたこんだまま、テレビで気を紛らわせている子どもと、宿題を終わらせてしまい、何か別の課題に取り組もうとしている子どもとの違いくらい、大きなものに思われます。

 

 

 

 

② 病気を「部分で見る」か、「全体で見る」か

 

 

2つの病気、もてますか?

 

西洋医学には、「〜病」といった病気の名前がたくさんあります。体の細胞の変容や、体から発見されたウィルスなどから、その名前がつけられるのです。また精神的な病は精神的な病で、「鬱病」「双極性障害」など、さまざまに分類されます。それは一見もっともらしく感じられます。細分化して、その原因を調べ、その故障部分を修理する。その作業に、なんら問題はないはずです。ただしそれは、体が機械のようにできているならば、の場合です。

 

でも、人間の体は機械でできていない、そこのところに、矛盾が生じてきます。たとえば、ある人が鬱病で、肝炎を併発していたら、その人には2つの病気がある、ということになります。中には3つも4つも、病気がある人だっています。そして、それらの部分を、それぞれの医者が治療します。でも、よくよく考えてみたいのです。鬱病と肝炎は、まったく関係のないものなのでしょうか? 割り箸みたいに、2つにバチっとわけることができるものなのでしょうか?

 

 

 

体はつながっている

 

たとえば、鬱的な気持ちが深まったときに、持病の肝炎が悪化する、などといったことはよくあることです。それは人間の体が、部品の寄せ集めではなくて、一つの大きな有機体として、相互に関連し合って生きているからです。ではそうなったとき、肝炎のせいで鬱病が悪くなったのでしょうか、それとも鬱病のせいで肝炎が悪くなったのでしょうか? 何かはっきり言えることなのでしょうか?

 

肝炎が原因だ、鬱が原因だ、といった、人間を部品に分けた原因探しは、破綻を来します。それは、原因はどこどこの病気にある、のではなくて、肝炎を抱え、鬱を抱え、また、ほかにもいろんな特徴をもっている、その人が病気だからです。なぜ病気になったのか。それは、まぎれもなく、その人が、その人だからです。

 

 

失恋したり

鬱になったり

辛いものが好きだったり

肝臓が悪かったり

ガンダムが好きだったりする

 

 

その人だったからなのです! これらを1つ1つ分けて考えることは、やっぱりどう考えてもできそうにありません。

 

 

 

病気はたった1つのありよう

 

ホメオパシーの治療では、患者さんのとる、身体、感情、精神、すべての状態を書き出して、そのすべての状態にもっともよく似たレメディーを選び出します。ですから、ホメオパシーが病気と呼んでいるものは、西洋医学が呼んでいるものとは大きく異なります。ホメオパシーにとって病気とは、その人の身体、感情、精神における症状をすべて含めた、その人のもつ、たった1つの状態(ありよう)、ということになります。そこにはもちろん、さきほどの、

 

 

失恋したり

鬱になったり

辛いものが好きだったり

肝臓が悪かったり

ガンダムが好きだったりする

 

 

その人の部分すべてを含めることができるのです。

 

 

このように、その人の部分ではなく、全体を見て、その人の全体の状態を、その人の力で改善していくのを助けるのがホメオパシーですから、ホメオパシーの治療によって「どこどこの部位での治癒が起きますよ」と言うことはできません。逆に言えば、西洋医学のような「難病」のカテゴリーもなく、どんな病気、ケガ、障害、体調不良、薬害、精神的な問題も、すべてがホメオパシーの対象範囲です

 

 

(文・画:刀禰詩織)