日本の現状

 

 

 

クラシカルとプラクティカル


あまり気が進みませんが、日本のホメオパシーの現状も記しておかねばなりません。明治以降も細々と、ホメオパシーを処方している場所はあった、という話はあちこちで聞きます。自分で調剤していた医院もあったようです。しかし基本的には約20年前に、イギリスからホメオパシーを学び、持ち帰った先駆者たちが、ホメオパシーの普及を始めました。

 

 

その後、日本で、ホメオパシーは2つに分裂してしまいました。それは、レメディーを大量に処方し、それが現代に合った実践的、実際的な方法だと考えるプラクティカルホメオパシーと、ハーネマンのやり方にのっとって、あくまでレメディーは、その人の、そのときの状態に合わせた一粒だと考えるクラシカルホメオパシーの2つです。

 

 

レメディーはどんなに飲んでも害はない、初心者でも気軽に使える、ということをうたい文句に、プラクティカルはどんどん広まっていきました。しかし、害がないように見えるのは、レメディーの作用の仕方がより微細なだけであって、大量かつ高いポテンシーの処方によって、多くの人が、必要のない身体的、精神的な撹乱を受けています。

 

 

 

大量投与は「許されない」

 

一度に一粒を基本とするクラシカルホメオパシーのやり方は、第六版に基づいていないからだという話も、まことしやかに聞かれます。ですが、クラシカルホメオパシーを学ぶ人たちの原典は、まぎれもなく第六版です。また、ハーネマンが生涯にわたって、ミニマムドーズ、ミニマムポテンシー(最小投与、最小ポテンシー)を貫き、大量投与、高ポテンシーの危険性を訴えたことは、オルガノン第六版を読めば明らかです。

 

 

「治療のときはどんな場合でも、一度に1個よりも多く、単一でないレメディーを患者に使用することは必要のないことであり、それゆえ、それをするだけでもすでに許されないことである

オルガノン第6版273項より

 

 

「真の治療師は、何も混ざっていない、まったく単一、かつ1個のレメディーに、唯一自分が求めることが許されている、すべてを見いだす(それはすなわち、人為的に病気を生み出す効力のことであり、それによってホメオパシーの治療の力は、自然の病気を完全に克服し、生命原理の感覚から消し去り、持続的に治癒させることができる)。

 

それゆえ、『単一のものによって可能であることを、多数のものによって実現させようとすることは間違っている』という格言に従うならば、単一でないレメディーを一度に薬として服用させることは、治療師にとって思いもよらないことであろう

 

なぜなら、単一のレメディーに対し、純粋な固有な作用を調べるために徹底的にプルービングが行われたと仮定しても、それでもやはり2つのレメディー、もしくはそれ以上のレメディーを一緒に使ったとき、人体への作用に関して、それらが互いに相手の働きを、どのように妨げ、変えることが出来るのか、前もって予想することは不可能だからである

同274項より

 

 

「症例に対し、ホメオパシーの治療として適切であったとしても、投与量が過剰であったときには必ず、そして服用による作用が強かったときには、選んだレメディーがホメオパシーの治療薬として適切なものであるほど、また活性化されたエネルギーが高いものであるほど(注:ポテンシーが高いということ)、それだけよりいっそう危険なものとなる

 

しかも、ホメオパシーとは無関係な(西洋医学の)薬、すなわち病的状態に対して何の関連もない薬を、同じく大量に投与したときよりも、はるかにいっそう危険なものとなる。ホメオパシーの治療薬として正しく選んだこうしたレメディーを大量に投与すると、とりわけ頻繁に反復して投与したときには、通常甚大な被害をこうむる。患者の生命を危険にさらすこともめずらしくない。そうでなくても、患者の病気をほとんど治癒不可能な状態にする。

 

過剰に投与したホメオパシーのレメディーであっても、それが患者に作用したときには、もちろん生命原理の感覚から、自然の病気を消し去り、その時点から患者はもはや本来の病気に苦しむことはない。しかし患者は、レメディーによる病気によって以前にもましてより重い病気になる。レメディーによる病気は、非常に激しいだけの、まったく類似した病気であり、再び根絶することはきわめて難しい

同275項より


写真:Dr. Samuel Hahnemann)

 

 

 

治らないのは、腕の問題

 

ハーネマンの時代と比べて、また海外と比べ、日本にはいろいろな化学物質があるため、一つのレメディーでは足りないのだ、という話も聞きます。ですが、それではどうして日本でも、一粒でその人全体の状態を大きくあげることができるホメオパスがいるのでしょうか(むしろ、一粒で全体像にあてることができたたときほど、レメディーがよく作用することはありません)。一粒でそれができないとしたら、それは日本や化学物質のせいではなくて、ホメオパスの腕の問題です。

 

 

クラシカルホメオパスも千差万別、実力はさまざまです。そもそもとても習得が難しい療法ですから、誰もが本当に処方できる実力をつけているわけではありません。また、日本にはまだ、信頼できる資格認定も普及していません。ですから、クラシカルホメオパスにかかってもよくならなかった、という方もたくさんいらっしゃるはずです。ですが、クラシカルホメオパスの腕が悪かったとしても、少なくとも、不必要な撹乱を過剰に起こされる事態は免れることができるはずです。

 

 

※ また、クラシカルホメオパスにとっては、変化が起きなかったことも1つの情報となり、その人に本当に合ったレメディーを選ぶ作業が続けられます。どんなに腕のいいホメオパスでも、1度や2度の診療では、そもそも難しいことが多いので、ある程度の期間をもってかかることが必要です。

 

 

 

ホメオパシーバッシング

 

2009年、新生児に必要とされるビタミンKの代わりに、ビタミンKのレメディーを与えた助産師が、新生児が死亡したことによって訴えられるという事件が起きました。ビタミンKのレメディーが、ビタミンKの代わりになる、などということは、ホメオパシーの常識からは考えられないことであり、ホメオパシーの名の下で、そんな処方がされているということ自体に大きく衝撃を受けた事件でした。しかしながらそれを機に2010年、日本学術会議をはじめ、医師会、薬剤師会、看護師会、助産師会などが正式にホメオパシーを全面否定すると表明しました。また、朝日新聞を中心に、ホメオパシーバッシングが広がりました。

 

 

こんなふうで、日本の現状は惨憺たるものです。またクラシカルホメオパシー自体も、非常に習得が難しいため、スクールを卒業しても開業できる人たちが少なく、その点もホメオパシーの振興が進まない理由かもしれません。また、最近はバッシングの影響を受けてか、入学する人たちも激減しているという話もあります。

 

 

 

ホメオパシーは高額か

 

日本は国民皆保険で、病院にかかるのは安いのが当たり前という感覚があり、それからすると、1回の診療に数万円かかるホメオパシーは敬遠されるところがあるかもしれません。ですが、病院は本当に安いのでしょうか? 5分診療で(1人に数時間かかるホメオパシーではあり得ません)、たとえ1000円だったとしても、本当はその数倍のお金が病院に支払われています。それは私たちの医療保険から出ているものですね。じゃあ、全体での医療費はどうなっているんでしょう?

 

 

 

 

日本での医療費は年々増えて、平成22年度は過去最高の37兆4202億円その割合はすでに国民所得の10.71%(つまりどんなに健康な人でも、所得の10%以上が医療費に回されているということです!)2025年には50兆円を超えるとの試算も発表されています。治らない人が病院に通い続け、また、病院にあまり行かない人たちも毎月高い保険料(1万3000円〜)を払い続けることで、この国のメチャクチャな医療体制を支えているというわけです。

 

 

毎年、借金は膨らむばかりの国で、こんなこといつまで続けられるのでしょう? そもそも、人は病院にこんなに通い続けなくてはならないものなのでしょうか? もっと根本から健康になる方法はないのでしょうか? この、「医療と言えば西洋医学」とでも言うような、時代遅れの独占状態を変えていかなければ、日本は健康面でも、財政面でも、とうてい健全な国家にはなれません。

 

 

・・・が、ここにメスを入れるのは至難の業ですね(笑)。まずは1人1人が、本当の意味での健康とは何かを考え、自身の健康を守る最善の方法を実践していくこと。それがいつかは、医薬業界の圧力をも跳ね返した、スイスのような結果につながるはず! そういう期待と希望を抱きながら、筆者は今日もしこしこ勉強と講座を続けています。

 

 

 

(文:刀禰詩織)