各国のホメオパシー

 

 

 

アメリカ

ハーネマンの死後、ホメオパシーは特にアメリカで隆盛を極めました。1900年までには、22のホメオパシー医学校、100以上のホメオパシー専門病院、60以上の孤児保護施設と老人ホーム、そして1000以上のホメオパシー薬局がありました。そのころは、医師の実に20%が、ホメオパシー医であったとも言われています。しかし、1900年以降、「抗生剤」の発見などによる西洋医学の進歩と台頭によって、ホメオパシーは駆逐されていきます。

 

一度は下火になったものの、最近の潮流として、アメリカでは再度、ホメオパシーへの期待と人気が復活しつつあります。国民皆保険がないアメリカでは、西洋医学にかかることも、ホメオパシーにかかることも、費用はそう変わりません(むしろ西洋医学のほうが高額の場合もあるでしょう)。同じ費用がかかるなら、体に優しく、また抜本的な方法で、というのが人間の当然の心理と言えます。

写真:Vithoulkasの弟子、Roger Morrison M.D.) 

 

 

 

スイス

ホメオパシーが国民の約半数に浸透しているとも言われるスイスですが、医薬業界からの圧力が強く、2005年にホメオパシーは保険適用を外されました(ドイツは2004年)。ところがスイス国民からは、抗議の声が多く上がり、2009年に国民投票が行われ、67%(反対15%)という圧倒的な支持を得て、2012年から再び、医療保険の適用に戻りました。

2011年、スイス連邦政府は、ホメオパシー治療には確かに有効性がある、とする正式なレポートをまとめ、世界を驚かせました。

 

 

 

イギリス

もともとホメオパシーは、王侯貴族を中心に浸透したという歴史もあって、イギリスでは代々、王家に専属のホメオパシー医がついています。ポール・マッカートニー、ウィリアム・ベッカムなど、ホメオパシーを健康維持に取り入れている有名人たちも多く存在します。ホメオパシーを保険から外そうとする動きもありましたが、チャールズ皇太子からのストップがかかり、今のところ適用が続いています。最近でも、ホメオパシー薬の販売を規制する法案なども通りそうになるなど、医薬界からの圧力には根深いものがあるようです。 (写真:王家の主治医、Dr. Peter Fisher)

 

 イギリスにはホメオパシーを教えるカレッジやスクールも多数あり、世界的に信頼を置かれているレメディーの調剤薬局もいくつかあります。優秀なホメオパスも多く輩出しています。国内での情勢はともあれ、日本でホメオパシーを学ぶ者にとっては、イギリスは中心地の1つとも言えるような場所となっています。

 

 

 

フランス

ハーネマンが晩年を過ごしたフランスでは、ハーネマンの死後、一時はホメオパシーの活動が駆逐されましたが、現在では全薬剤の3分の1がホメオパシー薬とも言われるほど、ホメオパシーが広く浸透しているようです。どこの薬局に行っても、ホメオパシー薬を見かけるといいます。

 

フランスのホメオパシー薬は、その多くが、コンビネーションレメディーになっており、風邪や発熱などのとき、そうした人に作用する可能性の高いレメディーをいくつか入れるという形で売られているそうです。一度に1種類のレメディー、という本来のホメオパシーのあり方からは外れますし、治り方も、本来のそれに比べたら、そこまですっきりしたものではないかもしれませんが、セルフケアとしては賢いやり方とも言えます(ただし、それを飲み続けるのでなければ、です)。

 

 

 

インド

ホメオパシーを語る上で、決して欠かすわけにはいかないのがインドです。インドは、イギリスからの支配を受けていた時代に、ホメオパシーが入ったと言われています。イギリスから独立したときに、イギリスのものも多くが排斥されましたが、ホメオパシーはいいものだから、と、ガンジーが残したという話が残っています。

 

 

"Homoeopathy is the latest and refined method of treating patients economically and non-violently. Government must encourage and patronize it in our country ." - M.K. Gandhi

 

「ホメオパシーは最新の洗練された療法であり、経済的に、非暴力的に、病人を治療することができる。政府はこの国でホメオパシーを奨励し、擁護しなければならない」 ガンジー


 

 

マザー・テレサも、国民を救う療法として、ホメオパシーを支持しました。イギリスと違ってインドでは、貧しい人々の間にもホメオパシーは広く普及しました。

 

現在、インドには医学部と並んで、ホメオパシーの医学学校が全国にあり、6年間かけて医学部と同等の医師の資格を得ることができます。そのためインドのホメオパシーは世界で一番と言ってもいいほど充実しており、親子三代ホメオパスというラジャン・サンカラン(写真右:Dr. Rajan Sankaran)をはじめ、超がつくほど優秀なホメオパスたちを輩出しています。新たなメソッドも生み出されており、インドはホメオパシー界での先進エリート国と言うことができます。

 

 

 

 

 

ギリシャ

ギリシャでのホメオパシー事情にはうといのですが、ギリシャには、何をさておき、ジョージ・ヴィソルカス(写真下:Dr. George Vithoulkas)という、世界をリードする大天才ホメオパスがいます。彼は子どものころに両親を亡くし、若いころから働きながら姉(か妹)を学校に行かせるという苦難の人生を歩みました。栄養が足りなかったために骨が痛み、それが大人になっても続きました。病院に行くと、その組織を切り取らなければ痛みは消えないと言われ、やめておいたそうです。

 

 

その後、彼は勉強して技師アシスタントになり、アフリカに行きます。そこで、ホメオパシーと運命の出会いをしたのでした。西洋医学では切り取るしかないと言われた骨の痛みは、Nux-v.で治ったといいます。その後、彼はインドにホメオパシーを学びに行き、その知識をギリシャに持ち帰りました。

 

ギリシャでは医師たちを中心に弟子を増やし、今はアロニッソス島でのんびり暮らしながら、アテネのホメオパシー病院からかかってくる相談の電話に対応する、という生活を送っています。また、アロニッソス島にはIACHという学校もあり、年に一度、世界各国から生徒たちが集まり、ヴィソルカスに習っています。アロニッソス島は、世界のホメオパスたちにとっての、巡礼地のような場所と言っても過言ではありません。

 

 

ヴィソルカスの著作を読んでいただければと思うのですが、これほど深く、自由に、大胆に、繊細に、ホメオパシーを語れる人は、どこにもいませんし、これから現れるかもわかりません。ですから、ギリシャと言えば、ヴィソルカスなのです(筆者にとっては、ですね汗)。      

 

 

英語がおわかりになる方は、1985年にBBCが撮った、ヴィソルカス氏のドキュメンタリーをご覧ください。ホメオパシーのことが、より包括的におわかりになると思います。